社会を変えた女性たちの絵本

子どもの絵本紹介

困難に立ち向かい、新境地を開き、世界を変えた女性たちの絵本を紹介します。

「わたしは反対!」

アメリカ最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグの生涯を描いた絵本です。

ルース・ベイダー・ギンズバーグは、アメリカ連邦最高裁判所の判事として、性差別と闘い、男女平等をめぐる歴史的な6件の事件に関わり、最高裁で争い、うち5件は勝訴しました。彼女は特に性差別の撤廃などを求めるリベラル派判事の代表的存在としてアメリカで大きな影響力を持ちました。

彼女は、男性優位の社会や性差別の問題を解決する必要性を感じ、各地で人権を巡る法廷闘争を手がけ、「性差別と戦う女性」として全国的な名声を手に入れました。彼女の取り組みは法の下の平等、人生における平等に変革的な影響を与えました。

彼女の活動は、性差別を撤廃し、男女平等を推進するための重要なステップであり、彼女の影響は今日も続いています。彼女の貢献により、社会はより公平で平等なものになりました。彼女の生涯と業績は、世界中の人々に影響を与え、多くの人々が彼女の足跡をたどることを奨励しています。

「ローザ」

ローザ・パークスは、1955年にアラバマ州モンゴメリーで公営バスの運転手に背いて白人に席を譲るのを拒否し、逮捕されたことがきっかけで、モンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発しました。この事件は、アフリカ系アメリカ人による公民権運動の導火線となり、公共交通機関における人種差別が禁止される判決が下されるまでの381日間のボイコット運動を引き起こしました。 この一連の運動に対応して、当時のジョン・F・ケネディ政権は次々と南部諸州における差別制度を禁止する立法を行い、1964年公民権法成立につながりました。 ローザ・パークスの行動は、人権擁護運動の共有財産として、その行動は国際的に高く評価されています。

「「危険なジェーン」とよばれても」

ジェーン・アダムズは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アメリカの社会改革運動において重要な役割を果たしました。彼女は、シカゴの貧しい人々のための集落の家であるハルハウスを設立し、移民や貧しい人々の生活を改善するために尽力しました。また、平和主義者としても知られ、第一次世界大戦中には、国際平和会議の議長を務めました。彼女は、全米有色人地位向上協会とアメリカ自由人権協会の両方の創設メンバーでもありました。1931年には、アメリカ人女性として初めてノーベル平和賞を受賞しました。

「きょうりゅうレディ さいしょの女性古生物学者 メアリー・アニング」

メアリー・アニングは、19世紀初頭にイギリスで活躍した古生物学者であり、化石採集家です。彼女は、何百万年もの間岩石に保存された植物や動物の化石を発見し、それらは、自然を見る見方や、自然が長い間でどのように変わってきたかの考えを一新しました。 彼女の発見した化石は、人々の知るどのような動物にも似ず、過去に絶滅があったことの証拠となりました。彼女の発見は、古代の生物への正しい理解を導くことにつながり、古生物学の発展に大きく貢献しました。

「数字はわたしのことば ぜったいにあきらめなかった数学者ソフィー・ジェルマン」

マリー=ソフィ・ジェルマンは、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、フランスの数学者、物理学者、哲学者として活躍しました。彼女は、当時の社会的な制約にもかかわらず、数学の研究を続け、弾性理論の先駆者の1人として、また、フェルマーの最終定理に関する研究で知られています。 彼女の研究は、後の数学者たちに大きな影響を与え、数学の発展に貢献しました。また、彼女の業績は、女性が科学分野で活躍することができることを証明し、後の女性たちに勇気を与えました。 彼女の名前は、現在でも数学や物理学の分野で高く評価されています。

「せかいでさいしょに ズボンをはいた 女の子」

メアリー・E・ウォーカーは、南北戦争で活躍したアメリカの軍医であり、女性として名誉勲章を授与された唯一の人物です。 彼女は、戦場と療養所の両方で、自身の健康も省みず、傷病兵に対して愛国的情熱をもって治療に尽くしました。戦後はライターや講師として、健康や節制、女性の権利、女性の衣装改革といった問題を論じることに人生を費やしました。 彼女の業績は、女性が科学分野で活躍することができることを証明し、後の女性たちに勇気を与えました。 彼女の名誉勲章の授与は、女性が戦場で働くことができることを証明し、女性の権利向上に大きく貢献しました。

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